NO.5

日本人町の記念碑の写真 まず始めに、日本人町跡へ。
アユタヤではなくアユチヤと書いた立派な記念碑が建っていた。
綺麗に整備された公園は、熱帯の日差しがジリジリ照り付ける。
あっついな〜。
帽子を持って来なかった私は、帽子が欲しくなった。
朱印船貿易が栄えた室町後期から、江戸の鎖国令が出る頃まで栄えた日本人町が在った場所。17世紀前半最盛期だったころ、1500人もの日本人が住んでいた。
山田長政はその中でも一番有名な人だろう。
「鎖国政策で、日本に帰国する事ができなかったのね。」ぼそっと感想が口をついて出た。
サックさんがそれを聞きつけて、一生懸命反論してくる。

つまりサックさんによれば 長政は帰国できたのに、自らタイに残ったのだと言う。

タイ人の奥さんを貰い子供にも恵まれて、その当時のアユタヤの王に全幅の信頼を寄せ、心から忠誠を
誓った。王も彼を信頼して高い役職に登用した。
しかし、ここから後は日本人にはあまり知らされてないが、長政を寵愛した王が戦いに
敗れ新しい王権が確立すると、長政は当然虐げられ疎まれ南へ逃げた。
そして、その途中で毒殺されたという言い伝えがあるらしい。
長政の妻子も殺された。かくして、日本人町はただ石碑のみが往時を偲ばせるだけとなった。
でも、バブルの絶頂期だった日本の企業がお金を募って、1990年に こうやって立派な石碑が建ち公園とし
て整備されたんだと・・・・

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