No.6
ラテン語と教会のフレスコ画
アッシジはイタリア中部緑の大地と呼ばれる美しい地方にある、精霊の息づく街。
聖フランチェスコの生誕の地である。

1997年の地震の後遺症が今でも、ここかしこに見られるけれど、建物のピンク色にアイボリーを溶かし込んだような色は優しげでしかも気品に満ちています。


1182年に生まれたS・フランチェスコは当時の教会に一石を投じた人です。
裕福な家に生まれ、自由奔放に若さを楽しんだ彼は、ある日突然神の啓示を受け、清貧・純潔・従順な教えを説いたと言います。

私も有名な「小鳥と話すフランチェスコ」の画を聖堂の入り口左側で見ることができました。

その頃の教会の説教は、裕福で知的レベルの高い人々にしか理解できないラテン語でなされており、庶民には近寄りがたいものでした。だからこそ、理解できない一般庶民のために、教会はキリスト教の有名な一場面を象徴的な絵にして飾り、布教に利用したのです。


当時のそんな難しい教会の中で、彼は誰もが分かるように、イタリア語による説教を始めました。
生きとし生けるものに話しかける清廉の人フランチェスコの姿は、今でも人々を惹き付けてやまないのです。


私の従姉はカトリックの修道女ですが、イタリアに何回か渡り 修道院で修行したと聞いていましたので、街の中を歩く修道女の姿を見かけた時は、少しだけ親近感を持ちました。





教会の中は一切撮影禁止だったのが残念です。
清貧だった彼を彼の死後、聖人と認定したローマ教会は、彼の生誕の地アッシジにこの素晴らしいルネッサンス様式の大聖堂を建てました。
このことを、フランチェスコ自身はどう思っているんでしょうか・・。

聖堂の中の歴史を感じさせる階段を下りて、地下に行ってみると、重々しい雰囲気の祭壇が見えます。
そこは 聖フランチェスコの墓でした。
私も長椅子に座って、少しだけお祈りをしてきました。

出口から出て、もう一度大聖堂を見ると、二重構造の建物の造りが良く分かります。
ピンクの美しい壁が夕陽にほんのり照らされて、更に美しく映えていました。


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