No.11
ビザンチンの風
ラベンナの小さくてお洒落な街並みは、ウィンドウショッピングも楽しく石畳がピッタリマッチしていました。
そんな人々の暮らしが自然に見えるこの街も、かつては西ローマ帝国の首都であった場所です。

強大なローマ帝国が東西に分かれてしまったのは395年のことでした。東ローマ帝国はコンスタンチノープル(旧名ビザンチン現在のトルコのイスタンブール)を中心にビザンチン帝国とも呼ばれ、オリエントの香りのするビザンチン文化が花開きました。
その後15世紀半ばオスマントルコに滅ぼされるまで、その歴史は続きます。

ゲルマン人大移動の影響をもろに受けた西ローマ帝国は476年には滅んでしまいますが、その180年あまりの間、最初はミラノを首都に、その後このラベンナが都になり繁栄します。また、西ローマ帝国が滅んだ後もビザンチン帝国の総督府が置かれたために、イタリアのビザンチン文化の拠点になっていきました。

ビザンチン文化を象徴するものに、モザイク画のアヤソフィア寺院(トルコ)があるほどですから、ラベンナはモザイク画の街だと言っても良いと思います。。
ラベンナのモザイク画は、ガラスや石等を下絵に沿って貼り付けて行きます。
一つ一つのパーツは粗く打ち欠いた自然のままの素材を生かしてありますので、大きさや厚みも全くバラバラです。だからこそ、外光を受けると僅かな光でもキラキラと輝いて見えます。暗い内部が窓から差す光で浮き上がり、しかも、荘厳で重々しく感じるように意図するなんて、6世紀の先人達の知恵に感嘆の思いが募ります。
私はこのモザイク画を作っているところを見学したのですが、残念なことに写真を撮るのを忘れてしまいました・・

サン・ヴィタ-レ教会にはそんなモザイク画の傑作が残されていました。

教会は外から見ると八角形の地味な建物です。それに、地盤沈下の弊害で1階部分が地下に埋まりこんでいるように感じます。
中に入ると祭壇の壁一面が、びっしりとモザイク画で埋め尽くされていました。光を浴びたその壁面は黄金色に輝き、見事なまでの美しさです。
正面のドームの天井に若いキリストと両脇に天使、そして、教会の名前になっている聖ヴィタリスと、司教エクレシウスのモザイク画が見えました。
教会内部の写真はフラッシュが届かなかったので、全てビデオから取り込んだ静止画です。
またこの祭壇の両脇には、ユスティニアヌス帝とテオドラ后妃の有名なモザイク画があったのですが、写真が綺麗に撮れていませんでした。
でも、嬉しい事に高い天井の真ん中に見えた神の子羊の姿は撮影できました。

小粋な街並みを歩いてダンテの霊廟へと向かう途中、何となく立ち止まってしまうような空間がありました。そこはヨーロッパの歴史ある街には必ずある広場でしたが、息抜きできるような不思議な安堵の一瞬を体験しました。その時、ふと広場ってそういうためにあるのかもしれないと思ってしまいました。

ダンテはフィレンツェの政治の体制に反発して愛する故郷を追放されてしまいます。そして、落ち着いた先がラベンナでした。
彼はこの地で、有名な「神曲」を書き上げています。
霊廟はひっそり静かな場所にありました。
フィレンツェはダンテの亡骸を返還するようにラベンナに申し入れているんだそうですが、未だに拒否し続けられています。

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